歴史はいつまで記憶に残るのか

昨日であの当時日本在住だったの皆さんの人生を変えた事件から五年になる。マスコミの報道を見ると、福島の復活や被害者の「第二人生」を描く楽観的なストーリーがあれば、被害地の人口が6%減るとか、現地の経済が完全に国の支援だけでまわされているなど、悲観的な指摘も少なくはない。だが、これらの報道に一つ残念なことがあるとしたら、たぶん「量」である。前年度に比べると、この記念すべき一日は人々の注目を浴びなくなっている。各報道局はこの傾向を認知しているのに違いない。

個人のブログなどを検索しても、その結果で今年の書き込みにあてはまるものは驚くほど少なく感じる。「大震災は忘れられてしまった」というのはまだ大げさかもしれないが、「人々はその災害を忘れかけている」といえば、かなり適切ではあるのじゃないだろうか。もちろん、あることを記憶に残すうえで、別に頻繁にそのことについて討論を行う必要はない。逆に、心の傷を癒すには、時々こんな話に触れないのもいい。しかし、五年前の出来事は別件と違い、単なる「起こって終わる」ネガティブな案件ではない。

経験者一人ひとりの心理、政府に対する信用、そして人間関係における限界と責任感などあらゆる概念がこのことにより大きく変化された。これらの変化は偶然ではなく、一時的でもない。特に、経験者らが持つ社会的理解には一生反映される影響をもたらすはずだ。こう考えると、この震災は、社会学の面から歴史的な研究の価値がある。この価値のためだけでも記憶を維持し続ける意味がある。確かに、歴史的な出来事を記憶として維持し続けるのは重要だか、けして簡単なことではない。

教科書に載せるか、記念としてその日を毎年休日にするのはどの政府でもできるが、そんな軽率な行動は逆にそのこと自身の深い意義をなくす恐れがある。受験勉強で覚えなくてはならない知識の一部としてはつらく思われ、一日多く仕事や学校から休みをとれるのは喜ばれる。凡人の短期的な思考方式では、大体これぐらいしか入らないだろう。なぜなら、「なぜこのことを勉強してるのか」や「なぜこの日に休みをとれるか」は日常生活にとってけして重要な問題ではないからだ。

そのうえ、日本のような膨大な経済力があれば、災害の後でも人々はすぐ豊かな日常生活に戻れることができるので、その災害の影響はすぐ見えなくなるし、そのおかげで、その災害についてもより考えなくなる。それでその災害がただの歴史的事実と取り残されるのも到底時間が経つと自然にそうなるだろう。NGOプロフェッショナルにとって、こんな「大震災の忘れかけ」は発展途上国にかなり悪い模範と見えつつある。例えば、こちらタンザニアの地方では、自然的災害がぶれなくどこかでいつも起こっている。

それらの災害でたとえ現地の医療施設が対応しきれないほどの被害者が出ても、政府からの支援は普段口頭なものに過ぎないレベルで、被害を受けた地域は何年たってもその災害のダメージから抜け出せない状況はごく普通にある。こんな状況に陥った人々は、頭の中で被害を忘れたくても、日常生活でその結果を毎日のように面することになってしまう。これらの人々にとって、先進国の人々が何万人もの人々が命を後下災難を軽く思えることができる態度はどう考えても皮肉としか言えない。

そう、「お金があるから被害の深刻さをすぐ隠せることができると言って、その被害を忘れられるのはお金持ちたちの運がいいからだ」と彼らは思っているだろう。表面的なイメージで災害を判断してしまう人々にとって、ついつい「貧困=災害がもっと頻繁に起こる」のような形式が信じられるようになってしまう。そしてさらに、「死者がたくさん出る発展途上国の災害はあまり世界中に注目されないので、当分貧乏なほど、それほど命の価値がないのではない」と理屈に合わない議論も出てくるだろう。

もはや、こんなことを避けるだけでも、2001年の東日本大震災の記憶を丁寧に扱うべきである。自然災害は確実にどこでも、誰にでも平等に発生する可能性がある。なぜ一定の災害が世界中から同情を招くのに、より被害が大きいのにすぐ忘れられることがあるのは非常におかしい。東日本大震災の経験者は優れた建物と医療施設やすぐに行動に移る社会と政府に恵まれてたから無事だった。つまり、本当に運がよかっただけ。でも、その災害は五年後の今日もひそかに人々も生き方、考え方を左右し続けている。これだけの認識は持っておいた方がいいかもしれない。

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