地方活性化のキー?
今回の日本旅行も時間でいうと明日で半分が終わるとの時点になるが、今夜でこの作者は鹿児島以外九州すべての県とほとんどの大きな都市部に携わることができた。楽天時代の終了で日本在住も約4年前の話になるが、この来たこともない九州で意外と「家に戻った」雰囲気を感じる。最初、作者はこれをただ親しみがある言語か文化にもう一度触れるちょっとした感動と思い込んでいたが、今夜偶然宿泊先で見てたテレビ番組が「地方活性化」のトピックで議論をしていたところで突然デージャーブーを感じた。
そうだ、この「家に戻った」感覚はまさしく地方で育ち、その後も地方を結構旅していた作者が地方ではよく感じていたが東京では感じないライフスタイルの結晶である。具体的にいうと、田舎のシンプルな町並みだ。一つの駅、一つのアーケード商店街、そしてその周りに広がる住宅街や公園。デカいオフィスビルもないし、目立つ工場や有名ブランドの拠点ももちろんない。そこらへんの平日でもなぜかワイワイしている居酒屋を通り過ぎながら「みんなどうな仕事をして食って言ってるんだろう?」と思いつつところである。
その疑問は日本で住んでいた小学生時代から持ち続けているかもしれないが、今回の旅でもいろいろな仮説を立てながら解きに頑張っている。そこでそのテレビ番組がいいことを言ってくれた。「高齢社会に面するには、国が看護への投資を増加し、看護関係の仕事をされてる方々の給料を増やす。そして、その増えた給料が地方の消費を上げ、活性化につなげる」という、この作者にとっては結構斬新で面白いロジックである。そもそも看護は地方経済にそんなに大きい貢献を果たしていることさえすごく大胆な思い付きである。
だが、一歩譲って、看護に絞るんではなく、サービス業全体を見るとこんなロジックもおかしくはない。確かに、日本の地方は平均的に年寄りになっている。もともと死亡率が出生率を上回る年が続いてる国で、若者がよりいい生活を求め上京し、地方の経済は完全に50、60代のおじさんとおばさん達がまわしているように見える。そのせいか、80代のおじさんが一人で歩き回り、一人で車を運転する、普通では「危険」と考えられる行動が特に驚きにもならないかなりの頻繁さになっている。こうした方々に対するいろんなサービスは需要がどんどん高まる。
同時に、実際は地方の若者たちは上京したいかというと、本当はそうでもない。以前阿蘇温泉の話は極端な例かもしれないが、給料が比較的に低くても、地方で安く、楽に生活したい若者はまだまだたくさんいるはず。問題は彼らの実家であるその地方が彼らに意味があり、安定している仕事を提供できるかだ。この点についてこの作者は、この何日間九州を巡った結果、楽観であるが悲観でもある。楽観の理由は働きたい者に与えられたサービス業における意外に豊富な選択肢。町はまだレストラン、居酒屋、カラオケなど人が集まる場があふれている。
しかし、悲観の理由はほかのサービス業が給料でも、経済への貢献でもこれらの「人が集まる場」よりも遥かに上であること。作者が自分の別府風俗経験でも少々触れたが、そんな場所で働く子は大体日中の仕事だけでは食っていけないからだ。逆に、夜の仕事が収入のメインで、日中の仕事はただ他人の疑いを抑えるための存在。たとえ地方に残るとしてもこんな仕事をしていたら、まあ地方の財政と経済には役に立つが、実際に地方活性化の一部になり、地方のライフクォリティーの上昇にいい影響をもたらすのかは非常に疑問だ。
そして、疑問にあたるのは風俗だけじゃない。これら地方の町で目立つ建物といえばオフィスビルでもなく、ショッピングセンターでもなく、Pachinko & Slotである。夜に明るく点灯されるこれらのパチスロ店は悪い意味で町のビジュアルシンボルになっている。それももちろん店の収入がいいためだろう。若者として同じ力仕事のバイトをするなら、パチスロは飲食店より給料が高いはずだろう。このような「風俗とパチンコが個人の収入と消費の支えになっている」現状に対して、テレビで議論をしているやつらはどう思うんだろう…たぶん恥ずかしくて批判さえできないと思う。
こんな話の反論として、他人は旅行業界の成功を挙げることはできる。確かに、作者が見た今の九州は中国と韓国の観光客が大勢にあらわている。でも観光そのものは変動が大きい。少しの不満が伝えまわれると、大量の客がすぐ去ることも全然可能であるので、観光スポットとしてニッチな九州は旅行関連の収入に頼り過ぎることがまずありえない。もう一度最後に考えてほしい:仮にこれらの外国人観光客が突然消える場合、風俗とパチンコは「地方活性化のエンジン」に至ってしまう。残念ながら、この作者はこんな場所を「家に戻った」と感じたくない。
そうだ、この「家に戻った」感覚はまさしく地方で育ち、その後も地方を結構旅していた作者が地方ではよく感じていたが東京では感じないライフスタイルの結晶である。具体的にいうと、田舎のシンプルな町並みだ。一つの駅、一つのアーケード商店街、そしてその周りに広がる住宅街や公園。デカいオフィスビルもないし、目立つ工場や有名ブランドの拠点ももちろんない。そこらへんの平日でもなぜかワイワイしている居酒屋を通り過ぎながら「みんなどうな仕事をして食って言ってるんだろう?」と思いつつところである。
その疑問は日本で住んでいた小学生時代から持ち続けているかもしれないが、今回の旅でもいろいろな仮説を立てながら解きに頑張っている。そこでそのテレビ番組がいいことを言ってくれた。「高齢社会に面するには、国が看護への投資を増加し、看護関係の仕事をされてる方々の給料を増やす。そして、その増えた給料が地方の消費を上げ、活性化につなげる」という、この作者にとっては結構斬新で面白いロジックである。そもそも看護は地方経済にそんなに大きい貢献を果たしていることさえすごく大胆な思い付きである。
だが、一歩譲って、看護に絞るんではなく、サービス業全体を見るとこんなロジックもおかしくはない。確かに、日本の地方は平均的に年寄りになっている。もともと死亡率が出生率を上回る年が続いてる国で、若者がよりいい生活を求め上京し、地方の経済は完全に50、60代のおじさんとおばさん達がまわしているように見える。そのせいか、80代のおじさんが一人で歩き回り、一人で車を運転する、普通では「危険」と考えられる行動が特に驚きにもならないかなりの頻繁さになっている。こうした方々に対するいろんなサービスは需要がどんどん高まる。
同時に、実際は地方の若者たちは上京したいかというと、本当はそうでもない。以前阿蘇温泉の話は極端な例かもしれないが、給料が比較的に低くても、地方で安く、楽に生活したい若者はまだまだたくさんいるはず。問題は彼らの実家であるその地方が彼らに意味があり、安定している仕事を提供できるかだ。この点についてこの作者は、この何日間九州を巡った結果、楽観であるが悲観でもある。楽観の理由は働きたい者に与えられたサービス業における意外に豊富な選択肢。町はまだレストラン、居酒屋、カラオケなど人が集まる場があふれている。
しかし、悲観の理由はほかのサービス業が給料でも、経済への貢献でもこれらの「人が集まる場」よりも遥かに上であること。作者が自分の別府風俗経験でも少々触れたが、そんな場所で働く子は大体日中の仕事だけでは食っていけないからだ。逆に、夜の仕事が収入のメインで、日中の仕事はただ他人の疑いを抑えるための存在。たとえ地方に残るとしてもこんな仕事をしていたら、まあ地方の財政と経済には役に立つが、実際に地方活性化の一部になり、地方のライフクォリティーの上昇にいい影響をもたらすのかは非常に疑問だ。
そして、疑問にあたるのは風俗だけじゃない。これら地方の町で目立つ建物といえばオフィスビルでもなく、ショッピングセンターでもなく、Pachinko & Slotである。夜に明るく点灯されるこれらのパチスロ店は悪い意味で町のビジュアルシンボルになっている。それももちろん店の収入がいいためだろう。若者として同じ力仕事のバイトをするなら、パチスロは飲食店より給料が高いはずだろう。このような「風俗とパチンコが個人の収入と消費の支えになっている」現状に対して、テレビで議論をしているやつらはどう思うんだろう…たぶん恥ずかしくて批判さえできないと思う。
こんな話の反論として、他人は旅行業界の成功を挙げることはできる。確かに、作者が見た今の九州は中国と韓国の観光客が大勢にあらわている。でも観光そのものは変動が大きい。少しの不満が伝えまわれると、大量の客がすぐ去ることも全然可能であるので、観光スポットとしてニッチな九州は旅行関連の収入に頼り過ぎることがまずありえない。もう一度最後に考えてほしい:仮にこれらの外国人観光客が突然消える場合、風俗とパチンコは「地方活性化のエンジン」に至ってしまう。残念ながら、この作者はこんな場所を「家に戻った」と感じたくない。
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