「学生」という身分だからこそできる世界の「巡り方」

たぶんご存知でない方もたくさんいらっしゃいますが、著者の学生生活は日本で始まった。5歳で中国から移住していた著者、言語が分からぬまま入れられてしまった石川県金沢市のとある保育園は実に最初の学校経験であった。その後もそのまま隣の小学校に入学し、両親が学術研究で忙しいため、放課後には町が運営する児童センターで毎日何時間ほど過ごした。そのおかげで、12歳にアメリカに移民する前にはすっかりごく普通で日本っぽい小学生になっていた。

その六年以上楽しんでいた日々は著者にとって今考えても一番思い出で溢れている時期と思う。アメリカに移民した後家族が頻繁に引っ越ししたせいかもしれないが、長く住み着いて、「家」と感じられる場所は金沢以降まだあらわれてない。そして、金沢という町に深いなじみを感じるのも六年間ずっと「学校」という一定な社会コミュニティーに所属できたからこそかもしれない。2009年著者が金沢に戻ったときも、観光名所よりも約十年前に居た学校を訪ねることが一番の楽しみだった。

学校、そして特に小学校がそれほど一人の人間に影響を与えるのは別に驚くことでもない。研究によると人は12歳までの少年期で性格、個性を固定させる傾向があるので、その間生活した環境や触れ合った人々は「最終的にどんな人間になるか」にとってはかなり決定的なものである。だが、同時に、もしその環境や人々が大人になっても変化がなければ、性格、個性が固定する以上、人間としてあらゆる状況を柔軟に克服する一定の多様性が身につかないので、それも決していいことではない。

幸いなことに、著者は頻繁に引っ越しで色んな文化を色んな場所で経験できた。もちろん、好き嫌いはあったが、経験できたことだけで、一つひとつ違う生活環境のいい面、悪い面を比較し、一人の人間としてできるだけいい面だけをいろんなところから取り入れる努力が割と簡単にできた。これは一つの場所で生まれ育ちする人々にとって想像もできない贅沢だと著者は確定している。人は多様な社会経験をすることによって多様性を身につけ、世界中で活躍できる「地球人」になる。

そのうえで「学校」は欠かせない存在だ。知識だけではなく、社会的習慣や主流文化を教えられることによって、外国人は素早く「地元化」を果たす。職場では自分の役割をこなす一方、このように全面的な教え事を受ける機会はかなり少ない。それと、職場の一つひとつには創業者や本拠地が生み出した独特な文化があるため、たとえ海外に派遣されても、職場が変わらない限り、現地の文化を客観的に地元目線から理解するにはかなりのハードルがある。

つまり、どのぐらい世界を回るとしても、職場だけにくすぶってると、世界を理解できない可能性がある。逆に、たとえ短期間でも、海外の一般学校に通えば、人口の中で一番ボーカルで表現性が高い学生達からその場所の本格的な文化や習慣を「真」に身につけることができる。学校外で彼らと交流すれば、その文化的理解はさらに深まり、ある程度性格、個性の一部として人のメンタリティーを底から変えることもあり得るようになる。学校はそれぐらいのパワーを持つ。

この著者にとって、このパワーは今、東京大学の博士プログラムに入学する決定として反映されつつある。日本の小学校卒業生としてまた17年後に学生としてまた日本に
戻ることは言うまでもなく、当時では考えてもなかったことだろう。日本で学生である生涯をはじめ、日本でその生涯を終わらせる。それも日本における学校という社会的機関を根本的に肯定する行為だと思う。学生として世界を巡り、最後にもう一度すべてを始めた初心に戻るのは必要であることに違いない。

日本の「仕事文化」である長時間労働や社員に対する不関心は戸惑いになるものの、もしそれがなければ、日本ではある意味より純粋なもう一面を見ることができる。それは大人として初めての経験になるし、主に西洋教育を受けてきた著者には新しいアイデアを与えることができるかもしれない。こんな視点から考えると、「日本に戻ること」は単なる「住んだことがある国に帰る」ことではなく、「同じ場所で新しい世界を見つける」ことだ。つまり、違う経験があるから同じ場所でも世界を巡ることは続く。

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